革命

 

スペイン立憲革命

 

 

1820年にスペインで起きた、
スペイン・ブルボン家の絶対君主制に対する、
自由主義革命運動である。

ナポレオンの時代、スペインは一時期ナポレオンの兄ホセ1世が
国王として即位してした。
ホセ1世は近代化政策をとるも1808年に激しい内戦が勃発してしまう。
1812年にはカディスの議会で、主権在民・男子普通選挙制・
出版言論の自由などを定めたスペイン最初の自由主義憲法
「1812年憲法」を制定した。
その後、ナポレオンが失脚しホセ1世は退位っとなった。
そして、ブルボン家のフェルナンド7世がスペイン国王になった。
しかし、国王フェルナンドは絶対君主制をとったため、
自由主義者たちの反発を招くことになる。

一方、ナポレオン戦争の影響で、
ラテンアメリカ地域のスペイン植民地国では
次々と反乱を起こし独立を宣言した。
1819年の終わりフェルナンド7世はそれを鎮圧させるように画策した。
1820年1月1日にリエゴ・イ・ヌニェス大佐が先頭を切り
「1812年憲法」復活を求め、反乱を起こした。

この反乱がスペイン各地での反乱や暴動に火をつけ、
それは首都マドリードにまで及んだ。

そして、ついに「1812年憲法」復活は認められた。
国王フェルナンド7世が根を上げるかっこうとなったのだった。

ウィーン体制は崩壊し、中南米の独立運動はさらに加速した。
続く反乱は革命規模となり、
1822年にはフェルナンド7世王位を追いやられる。
そして、リエゴによる革命政府が樹立された。

このまま革命は成功するかに見えたが、
1822年の選挙で急進派が勝利すると
国王は神聖同盟に干渉するように要請した。

これにより五国同盟はヴェロナ会議を開き、
スペイン革命鎮圧をフランスに託すことを決議した。
この決議によって、スペイン立憲革命の夢は破れた。
フェルナンド7世が復位し、リエゴは処刑された。

革命は失敗に終わったが、
リエゴはスペイン自由主義運動の象徴となり、
彼を歌った「リエゴ賛歌」は国歌となることになる。