革命

 

清教徒革命(イギリス)

 

 

清教徒革命は、狭義には1642年から1649年にかけて
イングランド・スコットランド・アイルランド
で起きた内戦・革命である。


広義には1638年の主教戦争から1660年の王政復古までを含み、
名誉革命とあわせて「イギリス革命」「ブリテン革命」とも呼ばれる。

ステュアート朝イングランドは国教会による
王の絶対主義によって維持されていたが、
貧富の差がいかんともし難い状況となっていた。
そして、王室も財政難に苦しんでいた。
国全体の不満や不安が燻っておりあらゆる個所から
煙が上がっている状態であった。

そんななか、内戦が、1641年アイルランドに始まり、
翌年イングランドでも起こった。
また、スコットランドでも1644年、
盟約派と国王派の間で内戦が始まっている。
特にイングランドでは民衆運動の形態で、
次第に規模を増していった。


そして、内部対立があらゆるところで発生し、
国王処刑も行われる結果となっていた。。
内戦はそれぞれ勝利した陣営によって、
さらに戦争が戦争を呼ぶかたちとなって発展していった。
この戦争を制したイングランドも安定は望めなかった。

かくしてイングランド・スコットランド・アイルランドは王政にかえった。
しかし、戦争によって失った財源は大きく、王権の弱体化は明らかであった。
それはやがて名誉革命を招くことになった。

清教徒革命は絶対主義からの脱却という点から市民革命である。
また、名誉革命とあわせてイギリス革命として見る向きが多い。