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1959年1月1日、フィデル=カストロが中心となり、 
  ハバナ大学生たちの革命幹部会や労働組合が 
  フルヘンシオ=バチスタ政権を打倒した革命。 
当時、キューバの経済はアメリカ合衆国に大きく依存しており、 
  国の収入のほとんどがさとうきびであり、 
  地主制と多くの国民が苦しい生活を余儀なくされる状況であった。 
  それを解決するために立ち上がったカストロの革命は成功に終わった。 
農地改革により、 
  1960年に国営農場と共同組合農場の二本立て形態になり 
  農業の機能及び国民の生活が改善されることになる。 
  また、軍隊を信用しないカストロは民兵制を採り、 
  国の防衛を果たした。 
  同年、カストロはアメリカ合衆国及び諸外国の所有する 
  キューバ国内における財産を国有化した。 
  そのことが、アメリカとキューバの通商を停止させることなり、 
  それは現在まで続いている。 
1962年の米ソ間での核戦争危機は、 
  ソ連のミサイルがキューバに持ち込まれたことが一因であった。 
  米州会議の加盟国は合衆国側についた。 
  最初カストロと共産党は相容れなかったが、 
  最後は両者の協力関係が成立した。 
  そして、1960年代末より社会主義革命に転化していった。  
  
  
 
 
  
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